昭和41年04月14日  朝の御理解



 例えば、部屋に窓のあるとなる、ないというのは、大変な違いです。その窓の効果とでも言うのか、窓があることによって、その部屋の風の通しもよくなる。例えば、いわゆる明かりがなくても、外が月明かりでもあると、その窓から月明かりが差して、その部屋が明るくなる。もしそれにこの窓がなかったら、風の通しも悪い明かりも入らない。どこもここも窓にすると言う訳ではないけれども、その要所要所、所々にはその窓がなからなければならんように、心行さして頂く者の心の中にも、窓が大事である。
 昨日、一昨日、私のあの、叔母の家であり、従妹の家でありますが、山本の、皆さんもご承知でしょうか、私の父の姉に当たり、もう九十からなります。もう大変弱っておりますが、今普請を思い立って、丁度一昨日が棟上げでございました。それであのう若先生が、朝から御用にあちらに参っておりますと。そし九十になりますその叔母が、若先生が行ったらもうすぐ、「若先生、今日あんたが来て頂いてからほんとに、忙しいのにすいません」って言うてから。
 (?)同時に、今朝から、あんたが来るからじゃったじゃろう、私はこげんとをご神夢と言うとじゃろう。あのう、ご神夢を頂いたから、「どういうことじゃろうか」と言うてその届けるそうです。というのが、あのう何ですね、このう私のこれもやっぱり従妹に、あのう、かねよというのがおります。そのかげちゃん方に、もう椛目からもう、そりゃもう見事なその梅の木が、梅の木が、まぁその大きくないけれども、生き生きとして植えられておるところをその頂いた。
 次に、あのお野菜のくわいですね。くわいというのがありましょう、高級野菜に。あのくわいのその芽を頂いたから、あらぁこれは、そのお夢の中ですよ。神様、くわいということは、どう言う様な意味でございましょうか、というてからそのお伺いしたち。したらね、「根を大事にすることぞ」と頂いたそうです。やっぱりあの九十になるおばあさん、それとやっぱり私の、あのう親戚という、そのがりで、やはり私の祈りの中にやっぱりある。あれはやっぱりその、叔母がご神夢を頂いておる。
 しかもここ流儀にですね、やはりここの神様、ここに働きを下さっておる神様の働きをそのままに頂いておる。私は「神代」と言う事は、まぁ私の事だろうと」、こう思うとる。梅の木だ。植えられとるとこう。ね、これを大事にしなければならない。次にそのくわいを頂いておると言う事は、それがどう言う様な事であるのかと、こう思うたら、お伺いさして頂いたら、あの「心を大事にすることぞ」と、こう頂いた。ね。私は今日皆さんに申しますその心の窓というのは、その心を大事にする事だと。ね。
 というてその、いつもかつもどこにもここにも、窓があると言う訳には参りませんでしょう。今日は皆さん御本部参拝お疲れ様でした。ほんとにもう帰りまして何よりでございます。ね。ですからもうずっと一度自分の家に帰って、もうお風呂どんも入ってから、暫く休みでもしたい所でございます。それでも皆さんこうやって、一応皆お広前に出て見えてから、お礼を為そう。それでも、それがその、ただ形だけではならない。
 皆さんがご本部参拝をされますと、何気なし何気なしじゃない、これは間違いなしにご本部参拝さして頂く有り難さっていうものがです、ね、もう汽車ん中で楽しかった、楽しかった、はぁもうお参りさして頂いたら、もうお参りが多かった、多かったと。と言う様な事が、ご本部参拝のその、あってはなりませんでしょうが。ご本部参拝をさして頂きゃい、頂かなければ頂けない有り難さ。それは何と言うても、お広前金光様のあのご神勤ぶりに触れること。あのご盛大のご大祭を拝むこと。
 奥城に出て、それこそ心ゆくまでご祈念をさして頂く、あのひと時というのは、ご本部参拝をしなければ頂けんのである。あぁいう時にはね、皆さんの心が生き生きと喜びで一杯の時には、心の窓が開いておる時。風の通しがいい、心が明るうなる、心が清うなる。ね。ですから、ご本部参拝の、長い道中を疲れて帰ってまいりますと、疲れておる時には、まあ疲れておる時には暗い時。
  けれども、いわゆるこうやってお礼参拝される、お広前にお引き寄せ頂かれて、ただそれがおざなりにです、もうお礼が済んだから、とこう帰るだけはなしに、ここにもういっぺんご本部のお参りの有り難さというものをです、もう一歩新たに頂かして頂くような気持ちでです、心にいわゆる窓を開けなければならない。その心の窓というのは、心をいよいよ大事にするということだ。ね。
 その心に何がなしの生き生きとした、「本当におかげを頂きまして、有り難うございました」と、事をご祈念中に帰らして頂いて、まぁ時間は相当時間を、私のご祈念掛りますから、そのご祈念を頂いて、こうしてまあ御理解を頂いて帰らして頂く。そこに皆さんの心の窓が、こう閉められてあった窓が又こう開かる。いよいよお参りをさして頂いた事が有難いという、有難かったと言う事になるのじゃないでしょうか。
 皆さんが、その疲れの休まれる暇のないように、もう早速ご大祭の準備が待っております。ご大祭の頂かして頂く準備が、まぁ本格的に、今日、明日なされるわけでございますけれども、ね。どうでも、その心の窓をすっきりと開けさして頂いて、信心の、そのー喜びにです、そこに明かりを頂き、または、風通しを頂いて、ね、一掃した、一新した気分でご本部からの有り難いものを、このご大祭にまた現していこうという体制が、皆さん必要じゃなかろうかと、こう思います。
 どう確かにもうお茶が沸いて有る筈でございますから、お茶でも皆さん頂いて、そしてまぁおかげ下さいます様に。昨日久留米の松本さんが、今度ご本部参拝が出来ません、出来ませんので、参っておる積りで、今日一日御用頂きたいというて昨日、もう殆ど一人であのう谷川に皆お道具を持って行ってから、道具洗いをなさって、もう本当にまぁご本部参拝させて頂くだけの、喜びを頂かれた事であろうと、こう思う訳です。ね。ですから、皆さんがその喜びでまたその、御大祭のそのご準備にです。
 生き生きとした心で御用に当たって下さる事によってまた、一段有り難いものが頂けましょう。どうぞ、今の椛目は丁度そのう梅の木を新たに移植して、植えておるようなもの。同時にまぁくわいと言う事には、いろいろ意味がまたあろうと思いますけれども、そのくわいと言う事は、どう言う事でございましょうかと。心を大事にすること。「実意を込めてすべてを大切に」と言う事は。もう何と言うても、全てを大切にする中心となるものは、自分の心を大切にすること。
 その心の大切にするというても、やはりそのう私共でも同じ事ですけれども、汽車ん中で心を大事にしとるようであっても、やはりその何ですかね、旅の開放感とでも申しますか、ただ楽しいというものだけで、あん、中にこうパッと引き締まった、おかげを頂かしてもろうて、最後まで実意丁寧をもってみなさんの心を大事にされると言う事がです、また生き生きとした、心の窓を開けることにもなったであろうと、こう思います。
   どうぞ、おかげを頂きますように。